シリーズ:美術批評を読むvol.2 「作家が批評を読む」
Video will not be published (Available Period: until 9/29/2024 (Sun) 23:59 JST)
【登壇者/レクチャー内容】
小田原のどか/ベル・フックス論
山之辺ハサクィ/G.E.レッシング論
山本浩貴(いぬのせなか座)/佐々木正人論
塚田優(司会)
※レクチャー内容につきましては、変更になる場合もございます。予めご了承ください。
【第2回開催にあたって】
作家は作品それ自体によって歴史に介入し、批評的な意識に基づいて制作を行ってきました。制作行為そのものが批評であるというテーゼは、現代の作家にとってはすでに内面化されていることでしょう。ゆえに作家たちは、批評にとって最良の読み手であるとも言えるはずです。
現在のシーンにおいてもそのように自ら言説を生産しつつも、作家として作品を発表する「アーチスト」たちは数多くいます。そのアプローチには様々なものがあります。自作のサブテキストのような効果を狙ったり、言語を導入し、作品自体の批評的な態度を前景化させたり、レクチャーパフォーマンスのように自らが語り手となったりと、批評、ないし広義の理論は、作品に様々な特徴を与えています。
「シリーズ:美術批評を読む」の第二回として開催される「批評家が批評を読む」では、現在の日本の新しい世代による芸術文化のシーンにおいて作家として活動しながら、そのテキストにおいても独自の問題意識を持つ小田原のどか、山之辺ハサクィ、山本浩貴(いぬのせなか座)のお三方をお呼びし、それぞれ関心を持つ論者についてレクチャーしていただき、討議をします。
作家にとって批評とはいかなるものなのか。そして作家は批評を書くことによって、なにを目指しているのか。このような問題について話し合うことを通じ、現代における作家のあり方と批評の関係について探ります。
【開催概要】
今日ほど批評がない時代はないと言われます。しかしいつの時代も批評家は絶滅危惧種であり、いつの時代も批評はそれ自身の存在証明を繰り返してきました。批評は存在しているにもかかわらず、自分たちを危機的な状況であると認識することで延命してきた言説のジャンルと言ってもいいかもしれません。
危機とは何か?それは関心の欠落から生まれます。言説は孤独で作り上げられるものではないからです。たとえ直接言及されていなかったとしても、ある批評文は過去の批評的言説のネットワークのなかにいくつかの参照項を見つけることができます。そうした繋がりを隠れた紐帯と呼んでみましょう。その繋がりは、批評家自身にとっても自覚されていないことがあります。けれど見えないことは、存在しないことを意味しません。このレクチャーシリーズでは、こうした歴史の紐帯を見えるようにしたいと思っています。
私たちはそれぞれがあるひとりの論者について批評することで、自分自身を含む歴史が織りなす批評のネットワークを辿り直します。先人たちの言葉を吟味し、思考することで、いまという時空間のなかで生成しうる、批評の地図を制作します。そしてこの地図は、常にまた遅れてやってくる者たちによって書き換えられ、更新されていくことでしょう。
本レクチャーでは、様々なプレーヤーたちが自らが参照する、もしくは批判対象とする論者について検討することで、歴史的な繋がりを明らかにします。見えなくなった批評の系譜を辿り直すことで、自ずと同時代の批評の姿も見えるようになるでしょう。当日は各登壇者がひとりの論者についてレクチャーをしたのち、全体討議をします。